海から拾ってきた鯛
この物語はすべて実話であり、一切のフィクションはありません。登場人物もすべて実在し、主人公は私です。A氏については、本人を尊重して、敬意を払い、名誉を守るために匿名で記載されています。 |
伝説 幻の鯛
もう、だいぶ前になる。数えて見ると昭和57年の8月のことだから、もう38年も前の話だ。計算してみると私が28歳のときのことだった。 山育ちの私は、当時、仕事の関係で秋田市に住んでいた。秋田港が近かったものだから、岸壁で細々とふぐなどを釣って楽しんでいたのであった。そうしたある日、職場の上司4人に船を使って真鯛を釣りに行かないかと誘われた。 私は鯛釣りの道具などまったく持っていなかったので、A氏から竿とリール、K氏からライフジャケットを借り、始めて船に乗って釣りをするというので、胸を少しワクワクさせながら、総勢5人で男鹿から船にのりこんだ。 男鹿半島周辺は、魚の宝庫で特に真鯛の大物釣り場として、釣りマニアの間ではよく知られたところであるという。 A氏は過去に63センチ、2.26キロの真鯛を釣り上げた人物で、私の職場のトップ記録を持つベテランである。鯛釣りは釣れるか釣れないかのどちらかで、外道(他の魚)さえも釣れないと言う。 船に乗って糸を垂れること、3時間あまり、全然釣れないし、そのうえ私は船酔いして、もう釣りどころではなくなり、餌は船頭につけてもらって、苦しくて仰向けになって寝ていた。それでも竿だけはしっかりと握っていた。が……そうしているうちに糸がどんどん出ていくので、岩にでも引っかかったのかな?と思い、リールを巻くと「グン!」という手応え! |
思わず、夢中でメチャクチャにリールを巻き上げた。糸は10号を使っていたので、絶対に切れる心配はなかったのだ。すごい引きだった。10分もかかってようやく水面に顔を現した魚は、なんと素人の私にでもはっきりわかる鯛だった。しかも真鯛を釣ってしまったのである。 さっそく、その場で大きさを測ったところ、71センチ、4.3キロもあった。 |
海から拾ってきた鯛
ところが釣りがおわり、港に着いてからが一騒動であった。私はクーラーを持っていなかったので、釣り上げた鯛にタオルをかけて甲板において、乾かないように時々海水をかけていた。すでに相当時間が経っていたので、鯛は死んでいたのだが、その鯛を両手で抱えて陸に上げるときに、私は「初めての鯛釣りで記録を破った」という、うれしさのあまり、釣った鯛をついうっかり海に落としてしまったのである。 水深10メートル以上はある港の中に落としてしまった……。 記録は破られなかった……。なんといっても釣った証拠がないのである。
A氏は、「道具を貸したうえに、記録まで破られたんではたまらない。幻の鯛だ!」などといって、手をたたいて喜んでいる。一瞬、私は目の前がガーンとなった。ちび丸子ではないが「タララ〜ン」と冷や汗が出て青くなったのだ。 しかし、驚くことに男鹿の加藤釣具店( 北浦港 おが丸 )の船頭さんの行動はすばやかった。すぐ店に戻り潜水の道具一式を持ってきた。そして日の沈んだ真っ暗な海の中をウェットスーツを着て、水中集魚燈で水中に灯りをつけ、落ちた鯛を一時間もかけて探し出したのである。そして灯りのために集まってきたクラゲをかき分けて海の底から「私の釣った鯛」を拾ってきてくれたのであった。ただただ感謝感激である。 釣具店についてから魚拓をとって、しっかりと証拠を残した私は、クーラーの代りに用意したゴミ袋に鯛を入れ、家に帰った。妻はゴミ袋からはみ出ている鯛の尻尾を見て、かなり驚いていた。鯛は冷蔵庫に入らないので、知り合いの店の業務用冷蔵庫に預かってもらった。 次の日、職場に出勤したところ、私のしらない間に小料理屋が予約されており、上司20人ぐらいがあっという間に集まり、運ばれた鯛はさしみにされてしまった。私は二〜三切れしか食べることができなかった。 これが、今日までの私にとって、最初で最後の鯛釣りのドキュメントである。最後と言うのは、この日以来、A氏は二度と私を誘わなくなってしまったからである。 ちなみにA氏は、今でもこの鯛を私が釣ったとは認めていない。断じて「海から拾ってきた!」と言い張るのである。 この事件があってから、私は「へら鮒釣り」へと転向していくことになった。あれから23年経ったが、私の職場では、いまだにこの記録は破られていない。いまだに私が記録保持者なのである。私の職場では23年経ったいまも、この話が伝説となって語り継がれている。 そして、今でも飲み会などで、この話が出るたびにA氏は怒り狂っているのであった。 |
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寝ている子供と鯛(26年前の写真)
寝ていた子供も起こされて……
う〜ん。大きいなぁ。ツンツン。
しんたん3歳 ようたん1歳
この頃の、子供たち